バーンスタイン賛

 若いころ、ブラームスが苦手だった。
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 交響曲第1番を「いいなぁ」と思うようになったのはバーンスタインがウイーンフィルと1981年に録音したCDを聴いてからだ。わたしの年齢でいえば30台半ばのころ。
 ティンパニの連打とともに上下する弦楽器の奏でるやるせなさ、オーボエのソロにホルンが重なり、フルートが唱和し最後にチェロが引き受ける序奏部の沈鬱な悲哀。この一連の流れにふさわしい表現は簡単には見付からない。
 こんなにせつない曲だったとはバーンスタインで聴くまで知らなかった。
 オケがウイーンフィルということもあっただろう。
 ウイーンフィルとはすでにベートーヴェンの全集を出していて、よい関係だといわれていた。
 これも好きな演奏だった。

 わたしのバーンスタインへの共感はマーラーに始まる。
 高校生のころである。
 まだ「巨人」と4番ぐらいしか知られていなかった。
 高校生でマーラーに染まるとは
「変な子」
 と言われた。

 まあ、そうだったかもしれない。
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 マーラーが日本では市場性をもたなかった1960年代、彼はニューヨークフィルとマーラーの交響曲全集を録音していた。当時、マーラーを聴くにはバーンスタイン盤しかなかった、といってもよい。
 その入れ込みぶりはすごく、熱い演奏に震えた。
 フェスティバルホールでの公演に魂を鷲づかみにされた。
 わたしのマーラー理解はバーンスタインのリードによる。

 「ウエストサイド物語」も素晴らしい。
 「序曲」「アメリカ」「5重唱」にはしびれた。
 軽薄に思っていたミュージカルを真正面から観るようになったきっかけもバーンスタインだった。
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 ショスタコーヴィチの5番の交響曲もバーンスタイン盤には驚かされた。
 終楽章のおそるべきテンポの速さだ。
 私は友人にこの盤を聞かせてもらって、しばらく他の演奏を受け入れられなくなった。
 対極にあるのがムラヴィンスキーの蝿が止りそうな遅さだった。
 当時、ロビツキという指揮者のレコードを持っていたが、この中庸のスピードを保った演奏が何と退屈なものに聞こえるようになったことか。
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 ライナーノートには、ショスタコーヴィチ本人はバーンスタインのこの解釈を絶賛した、と書かれていたような記憶がある。
 当時、西側陣営では、ショスタコーヴィチというのはソ連体制派の模範的作曲家という評価だった。
 この演奏を聴いていなかったら、そうではないと主張した「ショスタコーヴィチの証言」は偽書と思ったかもしれない。

 その理由についてはいつか書いてみたい。