「ひよっこ」~消える純喫茶

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 「ひよっこ」は団塊の世代のドラマだ。
 そこに出てくる光景は、団塊よりは少し若いわたしにも懐かしい。

 洋食屋、純喫茶、スナック、呑み屋。
 ともに失われていったものだ。
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 つい最近、入社以来ずっと通っていた喫茶店が突然、閉店した。
 定年になったら挨拶に行こうと思っていたのに。

 家の近所の喫茶店と呑み屋も相次いで、閉店。
 いずれも経営者が高齢だった。
 「もう限界です」
 という張り紙が痛々しかった。

 純喫茶には文化があった。
 コーヒーそのものが西欧文化を飲んでいる、ということだった。
 そういう時代が明治以降、随分長く続いてきた。

 今や、コーヒーは特別なものではない。
 コーヒーとは西欧文化であり、西欧文化が「近代」だった。
 日本も「近代」というものを克服した、と言ってもよいのかもしれない。

 だが本当にそうなのか?本当に日本人は「近代」を内面化できたのか?

 似たような問題意識を抱えながら生きてきたひとの本を読んだ。
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 「日本の近代とは何であったか」
 (三谷太一郎著)

 わたしはスタバでコーヒーを飲んでいても落ち着かない。