「出雲と大和」をゆく ④~久美浜の神谷神社
連休には舞鶴に泊まって海自を見学するつもりだったが、予約するのが遅かったので久美浜にしか宿がとれなかった。
読めばなかなかそそられる神社である。
(前掲書245頁)
社日とは、
~五角形の石柱-五つの面に大己貴神・少彦名神・天照大神・埴安姫命・倉稲魂命の名が刻まれている-~
で、出雲系の指標だという。
石柱ひとつもあなどれない。
久美浜には昔日の繁栄を想像させる落ち着いた佇まいの街並が残っている。
北前船が通っていた頃の名残だろうか。時間があればまた訪れたい街だ。
「神谷神社」そのものより、その横にある巨大な磐座に圧倒された。
岩の間を歩いていると、ぶるっ、と来る。
磐座信仰と云えば、桜井の大神神社はそうだし、交野の磐船神社もそうである。
出雲系には、お尻を持ち上げている狛犬がいる、社日がある、磐座がどんとかまえている、といった特徴がある。
「神谷神社」の狛犬は写真の通りで「出雲系ではないのか?」と肩すかしをくらったが、村井先生は「神社の故地を谷間にたずねた」ところ、そこにあったと書いておられた。
私の踏み込み不足である。
よって久美浜は重要な地理的拠点であり、ここから丹後、丹波、山城へ続く交流の道があったと推測されている。
なかなか魅力的な説である。
先生は「魏志倭人伝」にある邪馬台国の位置を日本海沿岸ルートで想定しておられるのである。
海自もみなくちゃならんが、由良川の河口もみたいのである。
その前に嫁さんには琴引浜へもよってほしい、と頼まれているのである。
「いくらなんでも久美浜は舞鶴に遠い」とがっかりしたのだが「出雲と大和」を読み直していると、久美浜の「神谷神社」の話が書いてあった。
読めばなかなかそそられる神社である。
~この神社には境内地に接する山麓部に巨大な磐座があって、古い時代から磐座祭祀が行われていたことが知られるが、そこに「社日」があった。~
(前掲書245頁)
社日とは、
~五角形の石柱-五つの面に大己貴神・少彦名神・天照大神・埴安姫命・倉稲魂命の名が刻まれている-~
で、出雲系の指標だという。
石柱ひとつもあなどれない。
久美浜には昔日の繁栄を想像させる落ち着いた佇まいの街並が残っている。
北前船が通っていた頃の名残だろうか。時間があればまた訪れたい街だ。
「神谷神社」そのものより、その横にある巨大な磐座に圧倒された。
岩の間を歩いていると、ぶるっ、と来る。
磐座信仰と云えば、桜井の大神神社はそうだし、交野の磐船神社もそうである。
出雲系には、お尻を持ち上げている狛犬がいる、社日がある、磐座がどんとかまえている、といった特徴がある。
「神谷神社」の狛犬は写真の通りで「出雲系ではないのか?」と肩すかしをくらったが、村井先生は「神社の故地を谷間にたずねた」ところ、そこにあったと書いておられた。
私の踏み込み不足である。
村井先生は古代出雲勢力を日本海沿岸に発展した支配的権力と捉えている。
よって久美浜は重要な地理的拠点であり、ここから丹後、丹波、山城へ続く交流の道があったと推測されている。
なかなか魅力的な説である。
先生は「魏志倭人伝」にある邪馬台国の位置を日本海沿岸ルートで想定しておられるのである。
神武以前の支配的勢力は出雲。邪馬台国は出雲の建てた勢力で奈良に進出していた、というのが村井先生の説なのである。
さて、舞鶴へゆかねばならない。
海自もみなくちゃならんが、由良川の河口もみたいのである。
その前に嫁さんには琴引浜へもよってほしい、と頼まれているのである。
一泊二日ではなかなかきつい行程になりそうだ。