「むかしの味」~池波と織田作

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 久しぶりに池波正太郎の食の随筆を読みたくなった。

 屋根裏にしまい込んだ池波さんの文庫本を引っ張り出してきた。比較的とりだしやすかった段ボール箱の中から「散歩のとき何か食べたくなって」と「食卓の情景」を見つけた。文庫で出ているたいがいの随筆は揃えたつもりだが整理が悪くてどこにあるのかが分からない。「むかしの味」は買い直した。

 これら、池波さんの食の本はなかなか「罪つくり」なものである。

 内容的にいえば
 「使い回しがうまい」
とでも云おうか。
 同じネタで少し薬味や付け合わせを変えて読ませている。「芸」といえばそれは池波正太郎の「うまいところ」であって、重なった話を読んでもひどく損をしたという気分にならないところが妙味である。

 いまひとつの「罪」は、これらを読んで「ちょいとこの店へ行ってみよう」と思っても、もはや味わうことの出来ない味について書かれていることが多い点である。永遠に食えないものを「食ってみたいな」と思って読んでいるので、残るのは飢餓感だけである。

 インターネットが発達した今日、池波さんが紹介した店の名は即座にどこにあるのかが分かるようになってしまった。東京以外の土地にいて池波さんの書いた店へ行きたいと思えば、昔はそれなりに手間をかけて調べなくてはたどり着けなかった。しかし今は「食べログ」辺りでちょいと検索をかけると、店の位置、評判、値段などかなりに情報が手に入る。さすがに「食べログ」で閉店した店を知ることはできないが、同じような好事家が閉めてしまった店についての情報を公開してくれていたりする。

 最近は東京へ行くと神田須田町の「ぼたん」で鳥すきを食って「まつや」で蕎麦を食う。なんだか明治の気分に浸っている気になる。こんな店へ行くようになったのも池波効果である。この周辺は訪れる度に懐旧の念を感じる。漱石や鴎外や荷風が歩いた東京とはこうであったのかと思わせる情緒がこの界隈にはある。

 この点、大阪はどうか。

 谷崎潤一郞が疎開をしてくれたおかげで関西は大いなる食文化の姿を後世に伝えることができた。難を言えばあまり庶民的ではない。庶民性の点では織田作之助の「夫婦善哉」が唯一の書であろうか。
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 織田は一気に書きおろす。

 ~高津の湯豆腐屋、夜店のドテ焼、粕饅頭、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相生橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、千日前常磐座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向かい「だるまや」のかやく飯と粕じる~(「夫婦善哉」新潮文庫)~

 今も残るのは「たこ梅」「正弁丹吾亭」ぐらいか。そうそう、織田作といえばの「自由軒」のカレーを忘れていた。

 織田作之助をして大阪グルメの代表作家のように捉えるのは違うだろう。引用部分にしたところで、店の名が一気呵成に並べられているだけでコメントはない。池波のような店の味から料理人の人生まで引き出すところに、織田作の関心はなかったようだ。

 そういえば先日、天満をうろうろしていたら「芋たこなんきん」のカモカのおっちゃんとすれ違った。今は「平清盛」でエリート貴族の役柄だが、このひとは居酒屋で関東煮をやってはるのがとても似合った。
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 ひょっとしてバランスを戻しにお忍びでの下向であったとすれば楽しい。