タコ部屋から

アクセスカウンタ

zoom RSS 「阪急電車」〜幻の酒、桂月

<<   作成日時 : 2011/05/27 06:52   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

 まるっきりカットですかぁ〜!

 映画「阪急電車」を見た。

 楽しみにしていた清酒「桂月」は登場しなかった。がっかりである。

 映画が原作に手を加えることはよくあることで別にそのことに文句をいう筋合いはない。原作にあれば、当然、出てくるだろうと思っていた一組のカップルの話が全部カットされていて、そのなかに「桂月」の話が含まれていたのだから、登場のしようもないわけだ。

 映画は小説の印象とは違い、登場人物同士の交流がより深く描かれている。話の中心にいるのは宮本信子の演じる老婦人である。悪役は、マナーの悪いおばちゃん5、6人組。長年、阪急電車に乗っているが、あそこまでひどいおばちゃん連中には会ったことがない。ま、これは原作にあることで、このおばちゃんらがいないと話も成立しないのである。

 小説を読んだときに、この作品に登場する悪役以外の人には、村上春樹の小説の主人公に通じるものがあると思ったものだ。それは人がもっていなければならないはずの素朴なモラルとでもいおうか、あるいはしつけといおうか。

 たとえば「1Q84」の天吾と青豆には、自己規律が備わっている。それは自己訓練で得たものであるのだが、彼らを育てた環境によってしつけられたものでもある。村上春樹の好きなアメリカのハード・ボイルドに登場するタフでやさしい主人公のもつ核に似ている。

 人生のルールのひとつは「他人様に迷惑をかけない」ことだと親に言われ続けなかったか?ひとは所詮、他人様に迷惑をかけながら生きてゆくのだが「他人様に迷惑をかけない」精神が基本になければ、人間失格になってしまうのである。

 文庫本「阪急電車」の解説は児玉清さんだ。有川浩さんの作品に登場するこの精神を「正義と書いてしまうとなんだかちゃんちゃらおかしくなってしまうのだが、まっとうなとか、物事を正す、といった、やっぱり正義感か、といったものが、いつも(中略)流れている」と評している。

 映画の中で、孫娘が後ろ向きになって立ち膝で電車の窓から外を眺めるシーンがあった。こどもはよくやります。そのときに宮本信子は孫の靴をさっと脱がす。シートを汚さない配慮である。こういうことは昔、普通にさりげなく行われていた。いまどきは車中で見かけることが少なくなった。席をつめあって座るということも減った。若い者は立っていて当然というプライドもなくなった。足を広げて浅くしか座っていないので横幅をとる。これが目立った頃に高名な評論家が「今の子供は足が長くなったのでシートの奥行きをもっととらないといけない」と書いたコメントを読んだときには呆れたものである。鞄や紙袋やリュックの容積が大きくなって、膝の上に収まらなくなり、ひとりの座る空間が広がったのに、網棚に荷物を載せるひとは少なくなった。結果、座席に座れる人数が減っている。電車内で化粧をするひとは相変わらずである。公私の区別が公共の場で崩れ去って久しい。私の空間が公的な場所にどんどん浸食している。

 そう、「公私のけじめをつける」というのも人生のルールのひとつだった。

 戦後の歴史は「私」の領域の無節操な拡大の歴史であったと思う。

 さて、映画「阪急電車」に戻ると、わしが楽しみにしていた清酒「桂月」が登場する(はずの)征志とユキのお話は別枠でLISMOドラマ上の公開となっていた。征志役が永井大くん、ユキ役が白石美帆嬢である。ユキ役の白石美帆嬢は似合いではないかしら。第1話だけはHPから鑑賞できるが、あとはauの携帯でないと見られないのか。

 余計にがっかりした。

 沿線の駅に貼られているポスターを眺めながら「阪急商法ってこんなもんだった?」と小林逸翁に問いかけた。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
「阪急電車」〜幻の酒、桂月 タコ部屋から/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる