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zoom RSS 「街道をゆく」をゆく〜湖西のみち 興聖寺

<<   作成日時 : 2016/09/13 07:25   >>

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 毎年、桜の散ったあと虎杖を採りに行く。

 湖西の安曇川下流に行くことが多い。
 そこからは近いのに、朽木の興聖寺へは一度も行ったことがない。
 前は何度も通っているのに・・・。

 興聖寺 は「街道をゆく」の第1巻、最初の章、「湖西の道」に登場する。
 室町末期、権威の衰えた足利将軍が京にいられなくなって身を寄せたという、鄙の禅寺である。
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 12代将軍、足利義晴の名はこの本で知った。
 教科書で習う日本史には多分登場しなかっただろう。
 足利幕府の権威は3代義満でピークを迎え衰微。
 わずかに8代義政が文化的に意義深い。
 あとは最後の将軍、義昭で終わる。
 そういう程度ではなかったか。

 「義晴(1511〜1550)は足利将軍の第十二代で、かれの時代は幕府などあってなきがごとく、京の治安はみだれ、無頼の者が横行し、義晴もその管領の細川氏に圧迫され、ほとんど身一つで京を逃げだしてこの朽木谷に身をひそめたという」

 これが司馬さんの紹介である。

 もう少し知りたいと思うとこの時代を押さえている通史の巻を紐解かないと分からない。「岩波講座日本歴史」から、1965年〜1967年に刊行された中公の「日本の歴史」第11巻「戦国大名」の評判がよいので読んでみた。
 著者は杉山博氏。

 この時代の足利将軍の動きは複雑だ。
 司馬さんがさくっとまとめざるを得なかったのもよく分かった。
 杉山博氏のこの著書は確かに面白い。
 初版が1974年だから、わたしが大学生の時にはすでに市販されていた。
 勉強不足で知らなかった。

 時代としては応仁の乱後から信長の上洛までの時期を担っている。
 後北条、今川、武田、上杉、伊達、毛利、大内、大友、島津、長宗我部の動向にまで目配りされており、今の「真田丸」前史、再放送の「武田信玄」のど真ん中を押えた本である。「花の乱」のあとから始まる時期であるが、富子はまだ健在である。
 NHKの大河ドラマではまだやっていない時代である。

 将軍職、管領職をめぐる一族間の権力争いで畿内は混乱の極みに陥る。
 そんななかで12代将軍義晴は細川家の覇権争いに巻き込まれ、近江に避難するのである。
 義晴を擁するのは細川高国、反するのは細川晴元。
 高国は義晴の無聊を慰めるために興聖寺に庭園を造る。
 それが今も残っている。

 枯れた、というよりは、荒れた趣すら漂う庭園である。
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 お寺の説明を聞いていると、今でも細川氏との縁は続いているようだ。
 堂内には細川元総理大臣や父の護貞氏の写真などが飾られていた。

 ここで面白い話を聞いた。
 近く、司馬遼太郎原作の「関ヶ原」が映画化されるというのだ。
 こちらのお寺にもロケハンが来ていたらしい。

 この話は8月に東宝から公表された。
 三成は岡田准一。
 家康は役所広司。
 公開は来年の秋。

 「真田丸」の「関ヶ原ロス」はきっとこのせいだ、と思った。

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