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zoom RSS 「軍師官兵衛」〜義昭の名誉回復

<<   作成日時 : 2014/06/10 22:03   >>

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 アカデミックな世界では「当たり前」の説が、世間ではまだまだ認知されていない例は多い。

 この意味で、さきごろ中公新書で出た「天下統一」(藤田達生著)は示唆に富んだ面白い本であった。
 いわゆる織豊政権の分析であるが、地道な研究が進んだ結果、今なおドラマや映画で流布している信長、秀吉のイメージがかなり古くさくなっていることを痛感させられた。
 とりわけイメージを変えなければならないのが足利義昭像であり、末期の足利幕府である。
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 藤田先生によれば、衰えたりとはいえ、足利幕府の権威を借りなければ信長は京都進出への足がかりを作ることが出来なかったのは明らか。昨今は信長の先見性や革命性に魅了されるあまり、足利義昭の実力が過小評価されている、と説くのである。
 学校では足利幕府の滅亡は、信長が義昭を京都から追い払った天正元年と習ったが、義昭は鞆に移ってそこから将軍本来の職務を機能させている。いわば、この時期、政治史は、「義昭−信長政権」から、毛利と本願寺、室町幕府の権威を必要とする戦国大名らをバックボーンとする義昭の「鞆幕府」と信長の「安土幕府」の二者併存時期と理解すべきと書いておられる。

 ちょうどドラマ「軍師官兵衛」では、陥落した有岡城の荒木村重や播磨の小寺政職も「鞆幕府」の意向で動いていたわけで信長の播磨攻略は「鞆幕府」との戦いであったということだ。

 さて、そうなると歴代、軽くて権威主義的でなよなよしたイメージで描かれてきた腹黒き足利義昭のキャスティングは「これでよかったのか?」ということになる。ざっと記憶に残っているのが、伊丹十三(国盗り物語)、三谷幸喜(功名が辻)、玉置浩二(秀吉)あたりか。今回の吹石満もその延長線上にある。
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 こんな風にずっこけていてはいかんのである。

 近代的な「信長」に対して、前近代的、中世的な「義昭」という対立構造はわかりやすいが、果たしてそうだったのか?

 これは面白い設問である。

 この意味で、司馬遼太郎はきっぱりと「近代主義者」であって、明治維新を肯定的に捉える司馬さんからみた義昭は道化あるいは反動の権化以外のなにものでもない、ことになる。

 信長の目指した中央集権化政策は、官僚制と常備軍の創設、租税徴収の転換などにより、それ以前の戦国大名経営とは一線を画していた。信長の家臣団は「鉢上大名」として領地の鞍替えを常に気にしなくてはならなかった。サラリーマンの異動と同じ原理が信長軍団にはあったわけで、この辺り、一国の領地の保全を確保するために足利将軍の権威を必要とした武田や上杉とは組織文化が全く異なる。ただ、信長家臣団のなかにも、「鉢上大名」化することに違和感をもつ家臣もおり、光秀などはその典型であったのかもしれない。

 ドラマでの荒木村重は強烈な鬱に囚われた印象で消えていったが、次の光秀にはどのような「裏切る理由」がやってくるのだろうか?

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