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zoom RSS 「街道をゆく」をゆく〜近江散歩F田中吉政のこと

<<   作成日時 : 2014/02/16 01:05   >>

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 近江八幡でテレビの取材に出くわした。
 どうやら名古屋のテレビ局らしい。

 前からその名にひかれていた「初雪食堂」でのことだった。
 前回、近江八幡を歩いたとき、来店が遅くなって食べ損ねた「すきやきうどん」を注文し、嫁さんは「ハンバーグ定食」をたのんだ。
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 どちらも懐かしい昭和の味をたっぷりと残している。
 近江牛と信じて疑わない(笑)これらの肉料理はふつうに美味しく、かつリーズナブルである。
 この近くに会社のあるひとがうらやましい。

 名古屋のテレビのクルーは何を注文していたかしら。

 そうそう。
 視点がついつい大阪中心目線なのだが、近江八幡は名古屋の日帰り旅行圏でもあるのだ。

 話はまた近江八幡と秀次に戻る。

 「功名が辻」での秀次役は成宮ェ貴くんだった。
 年齢でいえば秀次に近い年回りでの配役だ。
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 彼は「陽だまりの樹」では手塚良庵を演じた。

 「功名が辻」の主人公は山内一豊。彼は秀次家臣団に属していた。秀次家臣団の大名は、秀次の悪行に責任ありとして、秀吉の勘気をこうむり処罰される。

 ただし、秀次家臣団には関白になる以前に宿老として就いた家臣と、関白になってから秀次に就いた家臣とがおり、宿老として仕えていた家臣らはのちに引責を免れた。山内一豊もそのひとり。
 関白就任以前に仕えていた宿老のひとりに田中吉政という人物がおり、このひとは秀次の悪行に諫言した実績を買われ、秀吉から加増されていた。
 田中吉政は近江高島のひととも虎姫町のひととも言われるが、浅井の家臣であった宮部継潤の家臣で、秀吉の鳥取攻めのときに功があり、秀次付けの宿老となった。田中は実際の近江八幡の治世にあたり、現在の堀の開削もこのひとによるものではないか、と言われている。田中はのちに岡崎、柳川と転封され、それらもまた、今なお堀の残る城下町である。

 いずれ「軍師官兵衛」に登場するだろうか?

 そうそう。
 このあいだ聞いた小和田哲男先生の講演によれば、秀吉が暴走し出すのは弟の秀長が死んだあとからだということだった。秀次の切腹もそのあとの事件だった。
 近江八幡の堀をゆく舟で流れる案内からは、秀次のことを今でも大切に思っている様子が伝わってくる。
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 そしてこの堀が、今では時代劇のセットによく使われるようになっているのだから秀次や田中吉政の功績は大なのである。

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