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zoom RSS 「坂の上の雲」最終回〜「大和魂」は天狗の類

<<   作成日時 : 2011/12/29 22:56   >>

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 漱石先生ぞなもし!

 なんでこんなところに登場なさる?

 と思いきや「大和魂」の一節をやりだした。なんだ、これは?

 すでに多くの人が「?」を出している「坂の上の雲」最終回、子規家での場面である。
 原作にこういう筋はない。

 ドラマでやった漱石の「大和魂」の一節は「吾輩は猫である」の6章に登場する。「猫」はちょうど日露戦争の進行と重なるように発表されていた作品である。スタートは明治38年の1月。「猫」は10回に渡って掲載された。

 日露開戦は明治37年2月、同年12月に二〇三高地を占領、翌38年5月が日本海海戦。日本海海戦は5月27〜28日で、38年の6月に「猫」の5章が発表されている。第5章では「吾輩」が東郷大将のバルチック艦隊待ち伏せの苦労話を披露する。この取り扱いは非常に早く、月刊誌の時事評論の如くビビッドである。

 件の「大和魂」論は第6章で、38年の10月号に掲載されている。5章と6章の間には四ヶ月の空白がある。ポーツマス条約の調印は9月5日であるので、執筆中に日本が勝ち日比谷焼打ち事件動が起こったことも漱石としては知っていた。
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 問題のドラマのシーンは、子規の家に漱石が原稿を持ち込むところであった。このシーンは、ドラマ上、真之が日本海海戦を闘っている最中、ネボガドフへ乗り込んだ5月28日のはず。当然、日本がバルチック艦隊に勝利したことをまだ大衆が知らない時点と思われる。漱石の「大和魂」揶揄がこの段階で表現出来たものであろうか?すでに二〇三高地を落とし、旅順を制圧したとはいえ、「大和魂」が国際的に闊歩するほどの状況ではない。漱石が、国民の浮かれ様にうさんくさいものを感じるような時期ではなかろう。

 原作ではここに(後の話として)碧梧桐が「じゅんさんが軍艦をうけとりにいった」ことを話題にした話が登場する。そこに漱石は登場しない。
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 どうしてこのようなエピソードを創作したのか理解に苦しむ。

 「坂の上の雲」に漱石が登場するのは子規とからむ学生時代である。子規の死去とともに漱石はこの作品から遠ざかる。そもそも、子規を描かなければ漱石はこの作品に登場する必然性を失う。秋山兄弟と漱石とは縁が薄い。日露戦争そのものを追いかけたこの物語の後半に漱石が登場する必要性はまるでなくなっているのである。司馬さん自身、漱石を若い時期にからませてしまった構成に困っていたのではなかったか、とすらわしには思えるのである。

 NHKも、どうにもつまらない話を挿入したものである。

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