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zoom RSS 「山本五十六」〜鯛のはなし

<<   作成日時 : 2011/12/24 00:50   >>

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 よくも似たような門であるかな。

 「坂の上の雲」に出てきた海軍省の門と「山本五十六」に登場した海軍省の門は同じところでのロケかしら?そう思いながら映画を見ていた。

 「坂の上の雲」は京都国立博物館と紹介されている。「山本五十六」のほうはと調べてみると、

 〜7月9日(土)に「聯合艦隊司令長官山本五十六」の映画撮影が、第1術科学校構内で行われました。映画撮影には、第1術科学校、幹部候補生学校、呉地方総監部、呉教育隊の4つの部隊等から総勢113名の隊員がエキストラとして参加し、俳優の柳葉敏郎さん(井上成美役)と共に撮影を行いました〜

 と、海上自衛隊第1術科学校のHPに宣伝されていた。推察するに、幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館通称赤レンガ)前の門のようだ。江田島である。
 
 映画の冒頭一番、陸軍兵が隊列を組んで海軍省の前を行進し銃で威嚇する。陸軍と海軍が撃ち合いをするなんぞ、無茶苦茶だが実際にあった事件だ。陸軍が進める日独伊3国同盟にあくまで反対を唱えた米内への脅しだった。このシーンで登場した門が幹部候補生学校前の門。
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 映画「山本五十六」。

 初日初回で見に行ったら団体でおじいさんが座っていた。
 この人らは千円で入れてうらやましい。

 食いしん坊なのでついつい食事シーンに目がいくのだが、五十六さん一家の食卓。

 大皿に大きなカレイの煮付けが一尾のっていて、それを五十六がむしって子供らに分けて食べる。こういう振る舞いが山本家の習慣なのか、当時はどこの家庭でもそうだったのか分からないが初めて見た光景で面白かった。
 鯛でも同じで、これも父が分けて家族に振る舞うはずだったのだが、せっかくの奥さんが苦心して用意したおかしらつきの塩焼きを、五十六は「めでたい」気分なんかじゃないと怒ってしまって、手を付けずうっちゃってしまった。

 終始、悪役に徹していた南雲中将はミッドウェイでの敗北後、お茶漬けを食べていた。海軍の飯は「うまい」らしいが、洋食はあまり登場せず、瀬戸内海の鰯や干し柿などが登場していた。五十六さんは下戸だったので宴会シーンはあまりなく、お汁粉屋が二度も登場した。柱島から遊びに出てくる場所と云えば岩国だったのであろうか?

 そうそう「甲標的」話も登場した。役所「五十六」は「生還できないなら出撃ダメ」を出しておりました。

追記 「鯛のはなし」

 五十六さんの息、義正氏が出版した「父 山本五十六」(朝日文庫)にはこう書かれていた。

 「私たち家族が、おのおの心の中で、父に別れを告げたのは、昭和16年12月3日の夜であり翌朝であった。それまで、瀬戸内海の柱島の艦隊本部にいた父が急遽呼び出されて上京し、そのあとで自宅に寄って、一夜をすごしたのである」

 夫人は肋膜炎を患い離れで休んでいた。帰宅した五十六さんは夫人の病室にお膳を運ばせて食卓とした。夫人は「遠慮したいそぶりを見せたが、『ここに用意しなさい』と父が厳しい調子で言った」と義正氏は書いている。

 「どこかしら異常で、重苦しい雰囲気のなかで食事が始められた。チャブ台の上にいつもととくべつ変わったご馳走があったとは記憶していない。味噌汁に野菜の煮もののようなものがあった。ただ、ひとつだけ私の心に鮮明に焼きついているのはチャブ台の中央に20センチぐらいの小さな鯛が一匹乗っていたことである。…いつもの父なら、気軽に魚をむしって、私たち子どもの皿に、すこしずつ取りわけてくれるはずであった。が、なぜか、父は最後までそれに箸をつけなかった。…ついに、赤い魚はだれも箸をつけないままに残ってしまった。…私たちは、さりげなく食事を終え『ごちそうさま。』と言った。それは、私の一家が、父をまじえていっしょに食べた最後の夕餉であった」(第14章「最後の夕餉」)

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