タコ部屋から

アクセスカウンタ

zoom RSS 京都府・和束町〜「大仏開眼」と「江」を結ぶ土地

<<   作成日時 : 2011/11/12 23:25   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

 ひょんなことからひょんな場所へ行ったせいで、思いがけない人ゆかりの土地を訪問することになった。

 木津川を少し上流へ行った先にある和束という町。京都府である。茶所であり猪肉の産地でもあり松茸山がある。猪鍋を食って松茸狩りを楽しむ趣向のバスツアーに参加した。まだ観光ズレしていないようで、町の職員の方の説明が初々しい。

 町の探訪の中心基地になるのが「和束カフェ」という場所。朝市が開かれている。その裏の小高い丘に小さな森がある。ここは「和束墓」と云われ安積親王の陵墓だという。

 安積親王と云えば聖武天皇の子で、昨年のNHK「大仏開眼」では反・藤原派の推す皇太子候補。ドラマでは、藤原仲麻呂が玄ぼうをそそのかし毒殺させた。

 「おぉ〜、あのお気の毒な皇子さんか」
画像

 こんなところに陵墓があったとは知らなかった。

 親王で亡くなられたせいか、小ぶりな陵である。ただ、ひっそりという感じでもない。
 陵への道はよく整えられた石畳の坂で、周囲は美しく刈られた茶畑。村人によって大事に慈しまれ続けてきた貴人の墓ではなかったか。奥琵琶湖にある菅浦の伝・淳仁天皇を祀った須賀神社の佇まいを思わせる。

 親王の陵を和束川で挟んだ丘の上に「正法寺」という寺院がある。安積親王を弔うために行基により創建された寺院であったが、鎌倉末期、この辺りが笠置山へ籠った後醍醐天皇に味方したため焼き払われたとか。「地元ガイドの会」発行のパンフレットには1644年(正保元年)に僧・如雪を招いて中興開山したとある。
画像

 今の「正法寺」に縁があるのが「江」の娘、和子である。和子は後水尾天皇に嫁し、最初の子を身ごもったときに父、秀忠から一万石を下されている。将軍家としては男子を産めば天皇の外戚となるため大いに奮発した。この加増された一万石の中に和束が入っていた。これが1623年(元和9年)のこと。和束は禁裏御領となったわけである。「正法寺」には和子の念持仏が置かれており、そのためか立派な四脚門が設置されており、塀は五本の筋塀で最高の格式を保っている。
画像

 和子が産んだ二人の男子はいずれもが夭折した。期待されながら、徳川の血を引く男子の天皇を誕生させるまでに至らなかった。後水尾天皇は和子の女一宮に譲位し女帝、明正天皇が即位した。

 安積親王の父である聖武天皇も、光明皇后の産んだ男子を失い結局、次の天皇に娘(称徳天皇)を選ばざるを得なくなった。

 ときを超えて即位したふたりの女帝、称徳と明正が和束という土地に縁をもっていた。

 それにしても東福門院和子の生涯はとても面白い。お母さんのお話よりも娘の生涯の方がはるかにドラマチック。浅井三姉妹といっても、信長から家康の時代を傍らからなぞっただけで「葵〜徳川三代」とどこが違ったのか。その点、和子さんは国母ですし、奥向きの話も多いので、家庭ドラマ風BS時代劇でも通用します。

 そうそう、松茸狩りの話だが、素人には簡単に採れなくて、地元の皆さんがサツマイモをお土産にくださいました。久保貴子先生の「徳川和子」によれば、中宮を降りたあとの和子さんは、松茸狩りによく行ってたようである。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
京都府・和束町〜「大仏開眼」と「江」を結ぶ土地 タコ部屋から/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる