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zoom RSS 近江日野商人館

<<   作成日時 : 2011/03/30 23:58   >>

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 単身赴任のルーツは近江商人にあった。

 と、冗談めかして、滋賀県にある「近江日野商人館」の職員さんが話してくれた。

 いまどきは「さっちょん族」といって、単身赴任は旦那さんのほうに呼称があるが、江戸時代の日野商人の場合は逆で、留守を預る奥方のほうに「関東後家」という名があった、とか。日野の商人は、原則、故郷に妻子を置くことが慣わしであったため、単身赴任も多かったそうだ。念がいってるのは「関東後家」さんの家には「のぞき窓」があったり、「用心下駄」があったりということで、この辺り、まことに芸が細かい。のぞき窓は訪問客を確認するため、下駄は「家には男がいるぞ」ということを示すためだという。

 「用心下駄」ではなかったが「用心靴」かしら、と思ったのが「坂の上の雲」のとあるシーンだった。

 日露戦争が始まって号外を手にした子規の妹、律が、真之の奥方の家に駆けつける。すると靴脱ぎ石に男物の革靴が置いてあって、律が少しためらいをみせる。あれこれ想像を掻き立てるところだ。結局、なんのことはない。その靴は奥方の父君のものだったのだが、まあ、これも芸の細かい演出だった。

 日野は手垢のついていない古い町並みがよい。

 伊勢の「おかげ横丁」の成功が最初だろうか。古い佇まいを残す街に、行政が入り、助成金が出て、コンサルが入り込んで「街づくり」を推進する風が増えてきた。金沢、彦根、長浜、高山。最近、訪れた観光地はそういう具合にリメイクされていて、古い景観を行政と住民が一体となって保存することそのものに反対はないのであるが、逆に、どこへ行っても同じ古い町並みを見ることになって、しばしばしらける。

 その意味で、日野にはまだ手垢がついていない、と感じる。別に行政が仕事をしていないというのではない。現に日野商人館の職員さんはよく勉強をしておられるし、熱心で親切だ。こういうところにもお金のかけかたはある。あと、行政に過剰に干渉させない近江商人気質、というものもあるのかもしれない。

 日野を訪れたのは2度目だ。ルーツが日野にあるという近所の方のアッシーをやった。子供のときに行ったきり、というOさんは、ご先祖さんの名前をしっかり書き付けて日野商人館を訪問した。そこの職員さんが熱心に調べてくださって記録が残っていることがその場で判明した。驚きである。身元が知れた親しみもあってか、日野商人についての解説にも熱がこもった。

 俗に「近江商人」というが、近江商人も出身地によって商売の風が違っているそうである。曰く「日野」「八幡」「五個荘」「愛知川」「高島」と商売のやりかたも取り扱い品目もそれぞれ異なるそうな。聞いた印象でいえば日野商人は組織だった動きをするところが特徴だろうか。色々と資料もわけてもらってから街歩きを楽しんだ。

 「蒲生氏郷を大河ドラマに」

 というスローガンをところどころで見た。蒲生氏郷はこの地から松阪、会津若松へと転封を繰り返した。日野に生まれ、信長に見いだされ、秀吉に仕えた武将である。わずか40歳にして京都で没した。墓は京都と会津若松にある。日野には「信楽院」という蒲生家の菩提寺がある。時代と地理でいえば「江」と重なる。

 大河ドラマをこの人物ひとりで、1年を通じてドラマ化するには少し尺が足りないか。昔、淡路が「菜の花の沖」を取り上げるように熱心に運動したが、高田屋嘉兵衛一代では尺足らずという結論が出て土曜ドラマの枠で放送された、と聞いたことがある。蒲生氏郷の一代記は面白そうだが、氏郷だけではもたないかもしれない、などとキャンペーンの幕を眺めて思った。

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 それにしても日野という街には「ふるさと」が詰まっている。この日は、名神高速を栗東で降り、野洲川沿いを走ってきたのだが、広々とした平野と穏やかな山並、大きな空を満喫した。町筋を外して田園を歩けば、のどかに流れる春の小川がある。間近に雪をいただいた綿向山、御在所岳が控え、陽の光はやわらかい。

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 昼食をとった「岡崎」というレストランでは、近江牛を財布にやさしい値段で食べさせてくれる。

 司馬遼太郎が近江を愛した気分が分かる。

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