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zoom RSS 「江」から「平清盛」へ〜違う時代をおやりになれば?

<<   作成日時 : 2011/02/19 13:30   >>

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 これもまた、どこかへ置き忘れたのか、売ってしまったのか?

 手塚治虫「火の鳥〜鳳凰編」(手塚治虫漫画全集、講談社)である。結局、買い直した。

 古代史ドラマ「大仏開眼」を見たら、手塚治虫の「鳳凰編」を思い出したのであった。主要人物は我王、茜丸であるが、史上、実在の人物としては、橘諸兄、吉備真備、そして良弁が登場する。

 良弁であったのか。すっかり行基だと思っていた。原典に当たることは大事である。(苦笑)

 手塚治虫がこのお話を、いかような資料に基づいて作ったのかは知らない。橘諸兄と吉備真備は政敵である。我王を救った良弁は朝廷に近い僧でありながら、諸国を行脚し、平泉の国分寺で即身仏となる。

 実際は違うようだ。

 橘諸兄と吉備真備は政敵とはいえない。ここはドラマ「大仏開眼」が描いた関係、橘諸兄が真備をとりたてた、というのが正しい。政敵という意味で橘諸兄に対するのは、藤原一門であっただろう。良弁は、聖武天皇の華厳経好きにした導師であった。大仏を造ろうとする聖武天皇の片腕であった。全国を行脚する暇はなかったはずである。また良弁の時代、即身成仏の思想があっただろうか。これを持ち込んだのは空海で、平安時代になってからではなかったか。但し、断片的に入ってきた密教の作法がすでに修験者の間では試みられていた可能性がないわけではない。。。

 まぁ、そんなことを、ちまちまほじくるこちらが恥ずかしくなるほど「火の鳥〜鳳凰編」は圧倒的な力で読者を深く手塚治虫の世界へと誘い込む。これほどまでに牽引力のある物語になると、史実云々を言いたてる気がなくなる。第一にこのお話にとって主軸は我王と茜丸であって、真備も諸兄も彼らの立場を鮮明にするための脇役に過ぎないからだ。対立する権力者であれば手塚治虫にとっては誰でもよかった、といえば言い過ぎだろうか。

「江」についてである。

 信長を殺した光秀がこと破れ、落ちていく途中「わしゃ、もう、ええねん」という心境を従う家中の兵に漏らすであろうか。組織の長たるもの、それではならんのであるし、そういう人は、そもそも長にはなれぬのである。天下人になれずとも、光秀は明智家臣団の長なのである。あの表現では家臣がかわいそうである。人間ドラマとしても如何なものであろう。秀吉にいたっては学芸会レベルの演出ではないか。

 よく参照させていただいている研究者のブログに「江」についてはもう書く気力を失った、という決別宣言が書かれていた。かろうじて「今後に期待」と毎回つないでいるブログもある。どうでもいい話だが、わしはパソコンの壁紙は来年の「平清盛」に変えた。録画モードもDRからHGに落とした。記録に徹するだけである。

 上野樹里嬢についていえば「のだめ」のイメージをそのまま制作スタッフが再利用しているのではないか。役者の持ち味や新しい可能性を潰している気がしてならない。

  大河ドラマは史実がふんだんにある時代から少し、遠ざかったらどうだろうか?来年に期待するといっても、来年もオリジナル脚本であるから、来年の今頃、また、来年に期待すると書いているかもしれない。

 やれやれ。

 松山ケンイチ君は「ノルウェイの森」で、この台詞、呟いたかしら。

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