タコ部屋から

アクセスカウンタ

zoom RSS 龍馬伝(第23回「池田屋に走れ」)

<<   作成日時 : 2010/06/07 23:17   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 龍馬は神戸から池田屋へ向かったのか?

 神戸からなら京まで「走って」もいけるだろうが、江戸からは無理だよ〜。

 こう書くと「大河ドラマ史実派」扱いされて、辛い目に遭うのだが・・・。
 
 龍馬は池田屋事件の時に、神戸にいたのだろうか?
 元治元年6月5日に池田屋事件が起こる。
 龍馬は6月1日に江戸に向かうため京のお龍に会いに行った。
 後年のお龍の証言がある。
 同じ頃、海舟は江戸にいて6月12日に江戸から長崎丸に乗船して大坂へ出発する。しかしシリンダーが故障して14日に下田に停泊する。長崎丸を曳航するため翔鶴丸と黒龍丸をもってこいと海舟は下田から命令する。龍馬がどちらかの船に乗って下田に来たと海舟は日記に書いている。2隻の船が下田に到着するのが6月17日。このとき、龍馬は海舟と北海道へ「京摂之過激輩数十人」を派遣する案を話し合う。ここで海舟も龍馬も「池田屋事件」のことは話し合った形跡がない。海舟も龍馬もこの時点で池田屋事件を知らなかった、という説である。(松浦玲著「坂本龍馬」岩波新書)

 一方、飛鳥井雅道の「坂本龍馬」には「6月1日にお龍にわかれをつげると、幕府軍艦に乗って江戸の勝海舟のもとへひとつの計画をもって東行していった。海舟に会ったのは6月17日である」と書かれている。

 二人の研究者に共通している点は、
@6月1日に龍馬は京のお龍に会いにいった。
A6月17日に海舟と龍馬は会った。
の、ふたつだ。

 まず@だが、この話はお龍の証言が30数年後の回想だ、という点で信用できるかどうかが問題になる。松浦説も飛鳥井説もこの証言を拠所にしている。

 仮にこの証言が正しいとすれば、6月1日、龍馬は京におり、その日以降、神戸或いは大坂から江戸へ向かって、海舟に北海道移民計画を報告すべく出発したということになる。
 では、その際の交通手段は何だったのだろう? 飛鳥井は「幕府軍艦」と書いているがその根拠は示されていない。文脈から類推すると、大坂から出発したようにもとれる。

 松浦説を信じれば、龍馬は6月14日に海舟が下田から出した命令を知るところに居たわけだから、6月15日か16日には江戸にいたことになる。

 その前の龍馬の足跡が確実なのは、勝とともに長崎へ出張し熊本に戻った横井小楠と会い4月4日に長崎を出発し横井小楠の甥を預かって4月13日に京へ帰っているということだ。ついでながらこの長崎出張には池田屋事件で死んだ望月亀弥太も同行している。龍馬は「龍馬伝」では海軍繰練所で土佐勤王党の心配をしているが、実際は勝の長崎へ出張(後の長州への4カ国艦隊報復戦の延期交渉)に同行をしたり(このとき、勝は長崎から龍馬らを朝鮮へ視察に派遣する思惑をもっていた)、横井小楠のところに勝の名代で使いに出たりと、渉外担当部長のような仕事に奔走していたのである。

 では、絶対に龍馬が神戸から京の池田屋へ走って、望月の臨終の場面におれたはずはないのか?と質問されると「絶対にないとはいえない」というのが答えだろう。4月13日の京帰還から6月15、6日に江戸にいるまでの龍馬の足跡は記録として残っていないのだから。

 状況証拠として龍馬が池田屋に駆けつけたことはないと思うが、ドラマはこういう隙をぬって作られていくのである。

(追記)
 司馬遼太郎「竜馬がゆく」でも、龍馬は江戸にいる。

画像
 「龍馬伝」サントラ第2弾、来ました。

 
坂本龍馬 (岩波新書)
岩波書店
松浦 玲

ユーザレビュー:
いい以前に出された「 ...
マニア向け?「竜馬が ...
等身大でも凄い 松浦 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る



勝海舟
筑摩書房
松浦玲

ユーザレビュー:
勝海舟の生涯幕末の日 ...
勝海舟研究の決定版  ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
龍馬伝(第23回「池田屋に走れ」) タコ部屋から/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる