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zoom RSS 龍馬伝(第20回「収二郎、無念」)

<<   作成日時 : 2010/05/18 00:29   >>

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 竜馬の人生に濃さが増すのは、海舟に出会った28歳から死(33歳)までの5年間だろう。

 たった5年だ。

 この5年が龍馬の活動期であり、日本が明治維新へと大転換を遂げた時期だった。

 「ふぅ〜!」と溜息が出る。

 なんと濃い時間を過ごした人か、と。

 「龍馬伝」に沿えば「勝麟太郎」が第16回。大河は50回前後の放送だからあと35回は、竜馬の死までの5年間の奔走を描くことになる。たった5年で人はこれほどまでに変化を遂げることが出来るのか?

 つまり、竜馬の魅力とは実は「人は変わることが出来る」という、竜馬を手本とした、肯定的実績にあるのだと思う。

 数年前、女性新入社員と帰路、一緒になったことがあった。彼女はそのとき、何か文庫本を読んでいた。「何を読んでいるの?」と聞いたら「竜馬がゆく」だと答えた。

 これには驚いた。

 僕が新入社員だった30年前、当時の上司がひっきりなしに買っては読み繋いでいたのが「坂の上の雲」だった。年月を経て、また新入社員が、当時の僕と同じように司馬遼太郎を読んでいることに驚いたのだ。

 「司馬遼はおもろいで」
と、上司はその魅力を酒の席でよくしゃべった。

 実は、僕は史学を大学でかじった。その世界で司馬遼はひどくけなされていた。先生や先輩の受け売りで、読みもしないで「司馬遼、読むに値せず」と決めつけていた。先生や先輩は読んでけなしていたのだろうが、その理由はあんまり感心したものではなかった。「司馬遼太郎は神田の古本屋から関連資料を全部トラックで買い漁る」というようなものだった。まぁ、史学の先生や先輩というのはたいてい貧乏だったから、そういう話を聞くと不愉快にもなるだろう。

 司馬遼太郎が国民的作家になってしまって「司馬史観」なる言葉まで生まれ、やはりアカデミックな世界からは今も批判が絶えない。僕の学生時代ほど頭ごなしにやっつける風潮は鎮まったが、それでも「全部、信用したらあきません」という論調は変わっていない。アカデミックな世界も坂本竜馬をここまで人気者にしたのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の功績だとは認めている。こういうことを坂本竜馬の「発見」というのだと僕は思う。「坂の上の雲」は同じ意味で秋山真之の「発見」なのだと思う。

 アカデミックな業界人であれ、小説家であれ、歴史家の真の仕事はこの「発見」にあるのだと僕は信じている。

 フランスの歴史家にF・アリエスという人がいる。この人が注目を集めたのは「こどもの発見」という論文だった。中世には「こども」という概念はなく、今でいう「こども」とは「小さい大人」と認識されていた、という内容だ。「こども」は近代が生み出した「カテゴリー」だという説に衝撃を受けた。

 この発見からは実に様々な展開が考えられる。

 こういうことを「発見」するのが歴史家の大きな仕事なのだ。
 この意味で司馬遼太郎は大きな「大人」の仕事をしたと思う。


 「龍馬伝」はここから密度が濃くなる。

 第16回「勝麟太郎」は竜馬28歳の秋(1862年)の話。
 第20回「収二郎、無念」で福井藩主松平春嶽と会うのは1863年5月の話。
      収二郎が切腹をするのは1863年6月の話。(典拠は飛鳥井雅道「坂本龍馬」の年譜)

 5回をかけて半年強の時間が流れたに過ぎないのだ。

 歴史はときに濃密に流れ、その渦中にいるとき、人は否が応でも成長せざるをえない。
坂本龍馬 (講談社学術文庫)
講談社
飛鳥井 雅道

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